茶席で用いられる古筆切 ~ 茶道の知識
古筆切とは ~ 茶道の知識
古筆とは昔の人の筆跡のことで、平安時代から鎌倉時代にかけて能筆家によって書かれた、和歌などの仮名書きの名筆をさします。
古筆は貴族文化の中で、巻物や冊子という形で大切に保存し、鑑賞されてきました。
さらに、室町末期の茶匠・武野紹鷗が、藤原定家の「小倉色紙」を茶室の床掛けとして用いて以来、茶人の間でも古筆が愛好されるようになりました。
次第に、知識人達の中で古筆熱が高まると、古筆の数が不足するようになり、古筆を切断して用いるようになりました。 この切断された巻物や冊子の断簡のことを古筆切といいます。そのほとんどが、勅撰や私撰の和歌集を能筆家が書き留めたものです。
江戸時代には、古筆切を掛軸として用いることはあまり多くなく、収納、鑑賞するための帖(手鑑)が発達しました。
古筆切を掛軸に仕立てて、茶の湯で古筆切を用いることが盛んになったのは、明治末期から大正・昭和にかけてで、冊子の歌集などの古筆切を茶席で用いることが急増したといいます。
また、茶席でも用いられる古筆切の一種で、経文を筆写したものを古写経切といいますが、特に掛物のになっている古写経切は、料紙に金銀を使った華麗な装飾が施されているものや、高僧の書いたものが多くみられます。
茶席で用いられる古筆切・古写経切 ~ 茶道の知識
ここでは茶席で用いられる古筆切・古写経切をいくつか紹介します。
藍紙本万葉集
「万葉集」の断簡。筆者は藤原の行成の孫・藤原伊房と認められている。 藤原公任の書とも伝えられたが、伝藤原伊房の書とされている。料紙は藍の染料で染めた上に、銀の砂子を粗く撒いた紙。
顕広切
「古今和歌集」を写した冊子本断簡。藤原俊成筆。顕広(あきひろ)は藤原俊成が五十四歳まで名乗った名。が料紙は素紙。
尼子切
「拾遺和歌集抄断」簡。藤原伊経筆と伝わる。名称の由来は不詳。料紙は藍の漉紙、緑の染紙などに、銀泥で蝶・鳥・折枝などが描かれている。
飯室切
「金光明最勝王経注釈」断簡。「金光明最勝王経」は、東大寺創建の際の根本経典とされたもの。大ぶりで雄勁な筆致から嵯峨天皇筆と称され、平安時代前期の古筆切の優品として珍重された。料紙は黄穀紙。もと比叡山横川の飯室別所に伝えられたとされたためにその名があるといわれる。
厳島切
平清盛、その弟である平頼盛が、安芸国厳島神社に奉納した法華経八巻・無量義経・観普賢経のうち、無量義経の断簡。現代伝わる「厳島切」の殆どは平頼盛筆とされる。
太泰切
伝称筆者は聖徳太子。「一字宝塔法華経」断簡。料紙は紺紙。京都太泰の広隆寺伝来。 絵因果経 「因果経」は「過去現在因果経絵巻」の略。お釈迦様の一生を描いた絵巻で、絵巻の下段には経文を書写し、上段には経文の内容が絵画表現されている。新古二種あり、古因果経は奈良時代、新因果経は鎌倉時代中期のものとされる。
御家切
「古今和歌集」断簡。藤原俊成筆と伝わるが、自筆として疑問の意見もある。冷泉家(御家)に伝来。
尾形切
三十六歌仙の和歌を集めた平安時代末期の装飾写本「西本願寺本三十六人家集」の「業平集」断簡。料紙は唐紙。金銀泥で鳥、蝶、枝折などが描かれている。名称の由来は、尾形光琳の父・尾形宗謙が所蔵していたからとも伝わる。
小倉色紙
藤原定家が、古今の歌人の百首を選び、色紙に書して京都嵯峨野の小倉山荘の障子に貼り込んだといわれる色紙。武野紹鷗が「小倉色紙」を茶席の床に掛けたとされ、以来、珍重されたため、偽筆が多い。
春日懐紙
鎌倉時代中期の奈良・春日大社の神官や興福寺僧侶らが詠じた和歌懐紙のまとまり。奈良の歌壇の様子を示すもの。裏面に経文が書かれたもの、裏白のものは「奈良懐紙」と呼ばれる。紙背に「春日本万葉集」が書写されたものが喜ばれる。
熊野懐紙
最古の和歌懐紙。後鳥羽上皇が熊野参拝の途中に歌会を催したときの和歌懐紙。後鳥羽上皇をはじめ、源通親、藤原公経、藤原家隆、寂蓮、源通光、藤原定家など懐紙三十枚が現存する。
高野切
平安時代後期に書写された「古今和歌集」の写本の現存最古の断簡。現存するのは、九巻のみ。名称の由来は、九巻の巻頭の断簡が、豊臣秀吉から高野山の木食応其に与えられて「高野切」と呼ばれたために、その他の巻もすべて同名で呼ばれた。
白河切
「後撰和歌集」断簡。 伝称筆者は西行。名称の由来は奥州白河の地に伝来したからとも、白河侯こと松平定信の旧蔵にちなむともいわれる。江戸で分割された古筆切ということで、「江戸西行」「江戸切」とも呼ばれる。
寸松庵色紙
伝称筆者は紀貫之。「古今和歌集」断簡。料紙は唐紙。「継色紙」「升色紙」とともに三色紙といわれ、平安朝古筆の代表的名筆。名称の由来は、堺の南宗寺の襖に三十六枚張られていたもののうち、織田信長の家臣・佐久間将監が十二枚入手し、大徳寺塔頭龍光院に茶室寸松庵を建てて愛玩したことにちなむとされる。
東大寺切
源俊頼筆と伝わる。「三宝絵詞」の断簡。もとは冊子本。料紙は白唐紙。東大寺伝来。東大寺のことを記述した部分の断簡が「東大寺切」と名付けられたために、その他の部分もすべてこの名で呼ばれた。
八幡切
伝称筆者は小野道風。「麗花集」断簡。もとは冊子本。料紙は獅子丸唐草、牡丹唐草、蓮唐草などの型文様を雲母で摺り出した唐紙。名称の由来は、京都の石清水八幡宮に伝来したことにちなむ。