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宮崎寒雉の茶道具の買取を行っております

2016/03/11

宮崎寒雉の茶道具買取ます

宮崎寒雉(みやざきかんち)は江戸時代から続く釜師で、代々その名が受け継がれ、当代で14代目となっています。
多くの茶人から愛され続ける茶釜の制作を行っており、中古市場でも高値で取引されている作品が多数存在します。


宮崎寒雉の歴史は、能登の鋳物師・宮崎彦九郎義綱が、加賀藩主・前田利常によって小松城造営の際に金沢へ招かれ、金沢に住んで武具などの鋳造を行っていた事から始まりました。
その後、彦九郎の子・義一が、5代藩主・前田綱紀の時に茶道奉行として迎えられた千仙叟から茶の湯の指導を受け、柏葉釜、焼飯釜などの侘びの趣が強い釜を作り出した事で「寒雉菴号」の号を授かり、藩御用釜師として初代・宮崎寒雉を名乗るようになります。
しかし、初代・宮崎寒雉には男子がいなかったため、辻与次郎の末孫が養子となり2代・宮崎寒雉を襲名し、その子孫が代々、宮崎寒雉の名を継承し続け現在に至ります。


宮崎寒雉は現在、金沢市彦三町にて武家屋敷の名残が見え隠れした工房で14代と襲名予定の15代が制作に励んでおり、現代の茶人のニーズに合った茶釜を含めた茶道具などの鋳物の制作を行っています。
ご自宅に処分をお考えの宮崎寒雉の茶道具はございませんか?
いわの美術では宮崎寒雉の茶道具の買取を強化しており、どこよりも高く買取る努力をしております。




宮崎寒雉の茶道具買取について

宮崎寒雉は初代から当代まで多くの作品を残しており、作品の出来具合によって評価が変わってきますが、やはり高価買取の数が圧倒的に多いのは初代・宮崎寒雉の作品ではないでしょうか。
初代・宮崎寒雉は柏葉釜、鉈釜、乙御前釜、霰釜、段々釜、大講堂釜、責紐釜、茶飯釜など多種多様な釜を残しており、薄つくりで釜肌は砂肌でざんぐりしており、焼抜もあっさりと焼き肌に皮を残し、口際や鐶付などに巣を入れたものが多いのが特徴で、共箱には歴代の宮崎寒雉が極書をしたものも多く、こういった作品は高価買取が期待できます。
また、鋳物ですので金属を使用しており、水分が残った状態で長期間保存すると錆びが出てしまいます。
小さなものでしたらマイナス評価での買取となりますが、あまりにも錆びの状態がひどいと、高価買取となる宮崎寒雉の作品でも価値がないと判断し、買取をお断りする場合もございます。


このように宮崎寒雉の作品や茶道具買取には専門の知識と熟練した鑑定力が必要で、いわの美術に在籍する鑑定士はこれらの条件を兼ね備えた精鋭ばかりですので、しっかりと評価してもらいたいという方はぜひ、いわの美術にご相談下さい。