福森雅武の作品・茶道具買取ります
福森雅武の作品・茶道具買取ります
昭和から現代まで活躍されている陶芸家、福森雅武の作品をお買取り致します。
福森雅武は1944年に、伊賀焼を代表する土楽窯の窯元の7代目として生まれ、25歳で7代目を継ぎました。
20歳では茶器を扱い、その腕前から裏千家の秘蔵っこと呼ばれるようになりました。
その後、生活と仕事が分離したところに美しい物は生まれないという信念の元、食器などを手掛けるようになりました。
また、覚性律庵の住職である大阿闍梨や光永澄道の元で仏像などの製作なども行い、現在では土鍋、食器、酒器など様々な作品を手がけ精力的に活動を行なっています。
福森雅武は、先代から続く伊賀焼を作り続け、現在は型押しが主流になっていますが、昔の伝統を守り轆轤による手作りを頑なに守っています。
福森雅武の弟子として有名なのは、陶芸家の細川護光という方で、細川護光も土楽窯で活躍し、数多くの作品を手がけています。
また、50歳では銀座吉井画廊にて個展を開催、52歳では大阪難波高島屋の美術画廊にて個展を開催し、59歳ではフランスのギャラリー、YOSHI PARISにて個展を開催するなど数多くの功績を残しています。
いわの美術では、土楽窯の7代目として現在も伊賀焼を守り続け、数多くの作品を製作している福森雅武の作品・茶道具をお買取り致します。
伊賀焼の茶道具買取について
福森雅武は、伊賀焼を作っている土楽窯の7代目として生まれ、現在でも昔の伝統を守り轆轤による手作りを心がけています。
福森雅武が作る伊賀焼とは、三重県の伊賀市と呼ばれる周辺の地域で作られ、その始まりは中世からと古く、日本有数の古陶と呼ばれています。
伊賀焼は当時、信楽と陶土産地が山1つ隔てた場所だった為、信楽焼と区別が付きませんでした。
桃山時代に入り伊賀領主となった筒井定次が阿山の槙山窯で茶道に使う茶壷、茶入、花入などを焼き始めた事からビードロ釉が見られるようになり伊賀焼と信楽焼との区別がつくようになりました。
その後、小堀遠州によって遠州伊賀と呼ばれる伊賀焼が焼かれ、筒井定次が作った物とは対照的に瀟洒な作品となりました。
数多くの伊賀焼が焼かれ、1982年にはその美しさから伝統的工芸品に選ばれました。
いわの美術では、年間数多くの焼き物を査定しています。
先ほど紹介した伊賀焼や、産地が山1つ隔てた信楽焼などもお買取り可能です。
作家が無いものに関しましては、1点でのお買取りが厳しいですが、まとめてのお買取りが可能です。
作家物に関しましては、作家さんの評価により査定額は異なりますが1点でのお買取りが可能な場合もありますので、焼き物などご売却をお考えでしたら是非一度いわの美術までお問い合わせ下さい。