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高野松山の作品・茶道具買取ります

2015/05/14

高野松山の作品・茶道具買取ります


いわの美術では、蒔絵師で有名な松田権六と共に蒔絵で人間国宝に選ばれた高野松山の作品をお買取り致します。
高野松山は本名を重人と言い、1889年に熊本県に生まれました。

祖父は細川藩の儒者で父親は小学校の校長という教師の家庭で育った高野松山ですが、幼い頃から細工物に興味を持ち、職人の道を目指します。
飽託郡立工業徒弟学校漆工科に13歳で入学し、22歳の時に東京美術学校漆工科に入学しました。
在学中に出会った蒔絵師の白山松哉に蒔絵を学び、鞘塗師の橋本市蔵からは竹塗りを学びました。
白山松哉が亡くなる前に松山の号を貰い、高野松山として活動していきます。
その後、熊本出身という事と、祖父が細川藩の儒者という関連もあり、旧肥後熊本藩主を務めた細川家の16代当主、細川護立の援助を受けます。
その後、細川家の豪邸に移住し、住居を提供してもらう変わりに、細川家の護衛を勤めました。
昼はボディーガード、夜は製作といった忙しい生活でしたが、その当時美術教師をしていた高野松山は、周りの教師から住む所も生活にも不自由しなくていいと羨ましがられていたと言います。
高野松山が作った作品のいくつかは、細川家と交流があった事から各美術館や、永青文庫に保存されています。
1955年、高野松山66歳の時に蒔絵で人間国宝に選ばれます。その後も様々な賞を受賞している素晴らしい蒔絵師さんでした。
いわの美術では日々作品の製作に明け暮れ、素晴らしい作品を世の中に送り出した高野松山の作品をお買取り致します。


高野松山の作品・茶道具買取りについて

高野松山は、とても真面目な性格と言われていて、細川家の豪邸に移住した際にも、昼は細川家の護衛、夜は製作とハードスケジュールだったのにも関わらず、弱音を吐くことなく、作品を製作していきました。
また、何度か重い病に侵され、吐血などもしていましたが、作品を途絶えさせる事はなく、亡くなった時にも製作途中の作品を手に持ちながら亡くなったと言われています。
高野松山の代表作は木地蒔絵蝶文手箱という作品で、箱一面に蝶が繊細に描かれていて、とても美しいお品物になっています。
白山松哉から受け継いだ技術を元に作られた作品が多く、素晴らしいお品物が残されました。
高野松山は他にも、文箱や棗なども多数作られていて、そういったお品物などもお買取りさせて頂きます。いわの美術では、真面目で仕事熱心だった高野松山の作品を買取りさせて頂きます。

また、高野松山と一緒に人間国宝に選ばれた松田権六の作品や、輪島漆芸技術研修所名誉所長にも選ばれた大場松魚の作品・茶道具もお買取り致します。
お片づけの際に、処分に困っている高野松山の作品など御座いましたら是非一度いわの美術までお問い合わせください。



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