宮崎寒雉の茶道具買取ります
宮崎寒雉の茶道具買取ります
いわの美術では、宮崎寒雉の茶道具の買取りを行なっています。
宮崎寒雉は、江戸時代から加賀藩まで続く釜師、宮崎家に生まれ、代々釜師を受け継ぎ、その伝統を今も守っています。
宮崎家の祖先は、能登国中居に住んでいた鋳物師・宮崎彦九郎義綱で、当時の加賀藩初代藩主の前田利家の武器などを製作していたと伝えられています。
賤ヶ岳の戦い後、金沢に移転した前田利家は、宮崎彦九郎義綱を呼び、千坪もの土地を与え、武具などを作らせたと言われています。
初代宮崎寒雉は鋳物師・宮崎彦九郎義綱の次男と言われていて、本名は宮崎彦九郎義一と言います。
名越三昌(浄味)の門人や、名越昌高や大西浄清、大西定林に弟子入りしたなど、初代宮崎寒雉には様々な諸説があり、詳しい略歴などはわかっておりません。
また、三千家の1つで茶頭を務めていた仙叟宗室の噂を聞きつけた前田利常は、京都より仙叟宗室を小松城内に招き入れます。
小松城内で宮崎彦九郎義網と交流があったと言われている仙叟宗室は、その息子の宮崎彦九郎義一に釜作りの指導をしたと伝えられています。
そこで寒雉の号を貰い、藩御用釜師となった初代宮崎寒雉から代々寒雉彦九郎の名と伝統、技術を受け継ぎ、現在では14代目が釜師として活動しています。
いわの美術では宮崎寒雉の茶道具の高価買取りを行なっております。
宮崎寒雉の茶道具買取りについて
宮崎寒雉は、初代から現在では14代にまで受け継がれている釜師の家元です。
初代宮崎寒雉が作る作品は、葉の模様が描かれている柏葉釜や、全体的にふっくらとした印象のある乙御前釜など様々な作品を世の中に出してきました。
また、釜を薄く作り、肌を砂肌という少しザラザラした肌にし、焼抜をする際に出来る、酸化皮膜という皮を残す事で自然な模様を出す事ができます。
現在の14代目宮崎寒雉は初代からの伝統を受け継ぎ、その中にも自分らしい作品を手がけました。
14代目宮崎寒雉の作品は深くどっしりとした色合いを釜肌にもたせている所が特徴となっています。
現在14代目の息子さんが15代目を継ぐ為、しっかりと修行に取り組んでいます。
こうして息子、孫、そしてひ孫により、釜師の伝統、技術が守られているんだと思います。
いわの美術では、宮崎寒雉の作品の高価買取りを行なっています。宮崎寒雉の作品は釜が多く作られていますが、火箸や釜鐶、薬缶などの作品も製作されていますので、お引っ越しなどで荷物を処分したいなどお困りでしたら是非一度いわの美術までお問い合わせください。