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8代 休翁宗守(一啜斎) 1763-1838

休翁宗守の生涯


休翁宗守は、川越兵庫の子として1763年に生まれ、武者小路千家7代目堅叟宗守の弟子として活躍していましたが、堅叟宗守には息子がいなかった為、後に養子として8代目を継ぎました。

その後、高松藩松平家の茶頭として数多くの功績を残し活躍していた休翁宗守は、特に松平不昧から多大なる信頼を得ていたと言われています。

数多くの茶人から多大なる信頼を集め、茶道の世界に貢献していた休翁宗守ですが、ある日災難が降りかかります。

災難というのは天明期に起きた火災で、この火災により官休庵の一部である一方庵と弘道庵が焼失してしまいました。

このような災難があったにも関わらず、前向きに復興へと動き出し、6畳の一方庵を4畳に変更して枡床を新たに設け半宝庵と改名し茶室を手がけました。

多くの茶人から信頼を集めたり、火災により焼失した茶室を復興させるなど活躍した休翁宗守ですが、75歳でこの世を去りました。


休翁宗守の好み物

休翁宗守は好み物よりも自作作品が多く残されているのが有名です。


自作作品では烏帽子棚、自在棚などの新しい趣向の作品を数多く創りました。


好み物では自在棚、つぼつぼ棚などが有名となっています。


烏帽子棚は利休袋棚の右側をもとにした二重棚で、風炉のみに使用されました。


自在棚は、志野棚の中棚と天板を取り去った下の部分を元にした棚となっています。