買取強化中の茶道具

7代 堅叟宗守(直斎) 1725-1782

堅叟宗守の生涯


堅叟宗守は嵯峨家の出身で、幼名は久之丞、宗守は名、別号に直斎があります。

武者小路千家6代真伯宗守に息子がいなかった為、養子として迎えられ真伯宗守が亡くなった1745年に7代目を相続しています。

また、官休庵の中興と呼ばれ、表千家7代目天然宗左や裏千家8代目一燈宗室らと共に茶の湯で家元制度を整え、七事式の制定にも関わっています。

堅叟宗守が48歳、1772年に火災で官休庵が焼失しましたが、2年後の一翁百回忌を迎えるにあたり再建を果たしました。

堅叟宗守は利休の茶の系統では4畳半以上、せいぜい8畳程であった広間を15畳にし、弘道庵を作ったことで知られています。

歌や書、茶道具の鑑識に秀でた堅叟宗守でしたが、58歳という若さでこの世を去りました。


堅叟宗守の好み物

堅叟宗守の好みの物としましては、名取川香合、源氏車香合、矢筈棚、小袋棚、香狭間棚があります。
名取川香合は、見込に川波の蒔絵を描き、蓋の見返しに「名取川」、盆付に名判を漆書している長方形錫緑黒塗の香合です。
源氏車香合は、源氏車の蒔絵が描かれた香合となっていて、大変素晴らしい作品となっています。
その他にも矢筈棚、小袋棚、香狭間棚などを数多く好んだと言われていました。