買取強化中の茶道具

16代 玄黙宗室(坐忘斎) 1956-

玄黙宗室の生涯


玄黙宗室は15代汎叟宗室の長男として1956年に生まれ、本名は政之と言い、斎号は坐忘斎、若宗匠時代は宗之と名乗り、妻は三笠宮崇仁親王の次女容子内親王です。

同志社大学の文学部、心理学科を卒業し、大徳寺にて参禅得度して坐忘斎を授かり、2002年に父、汎叟宗室の隠居に伴い、裏千家16代目を継ぐ事となりました。

現在でも多種多様に活動を続ける玄黙宗室は、茶人であるほか、文筆家としても知られ跡継ぎ前からも随筆集等を多数出版し、跡継ぎ後も盛んに出版作業を行いました。

また、茶人としても「坐忘斎 千宗室 自作・好み物展」において多数の作品を展示していました。

玄黙宗室は、襲名から僅か半年の間に50点以上の作品や好み物を発表し、また種類豊富な為製作意欲の高さを感じさせられます。

数多くの執筆活動を行なっている玄黙宗室は、現在若い茶道人の育成と、茶道文化を明確化することに力を注いでいます。


玄黙宗室の好み物


玄黙宗室が好んだ作品は丹頂と呼ばれる竹一重切花入です。

丹頂は、節が片側に向かって開いていて、そこに花を入れる事によって花が大きく曲がって見えるような構造をしていました。

胡麻竹を使い竹の世界が感じられる作品を作る茶匠は歴代に何人もいましたが、丹頂のように煤の入った竹を使い独自の景色を生みだした茶匠は玄黙宗室が初めてと言われています。

このような奇妙で面白みのある作品を作る背景には、玄黙宗室が日本独自の非対称の美を取り入れているからです。

玄黙宗室は、日本独自の非対称の美の感覚を作品に取り入れ、海外へ茶道の普及を行なっています。