買取強化中の茶道具

14代 碩叟宗室(無限斎) 1893-1964

碩叟宗室の生涯


碩叟宗室は13代鉄中宗室の長男として1893年に生まれ、30歳の頃父、鉄中宗室が亡くなったのを機に14代目を継承しました。

碩叟宗室は、大徳寺488世円山伝衣老師より「無限斎」の号を、九鬼家より「淡々斎」の号を授かっています。

一般的には後に付いた号が無限斎だったので、無限斎という名が呼ばれる事が多かったのですが、箱書や道具には淡々斎の名で残されている物が多いためか、無限斎よりも淡々斎の名でよく知られています。

また、同盟組織として社団法人茶道裏千家淡交会を結成し、裏千家を財団法人化するなどの功績を残し、裏千家は茶道人口で最大規模を誇るようになりました。

その他にも、学校教育の場において茶道の導入を働きかけた事により、学校で教えられる茶道の大半は裏千家が占めました。

明治・大正・昭和の3つの戦後戦中の混乱で不安な時代を生きた碩叟宗室はですが、苦悩も見せず各地の神社や寺への献茶・供茶、海外への茶道の普及など数多くの貢献を果たします。

様々な茶道への貢献を果たした碩叟宗室ですが、1964年に惜しまれつつも72歳でこの世を去りました。


碩叟宗室の好み物

碩叟宗室が好んだとされるお品物には、楽焼青磁の花入があります。

この品物は、北野天満宮で献茶した際に、今日庵に伝来した本歌の写しとして碩叟宗室が作らせ、非常に端正な美しさが特徴的な作品となりました。

その他にも朱色の背景に黒で梅の木、金色で月が描かれた梅月棗と呼ばれる作品は、多彩な才能を持つ碩叟宗室の教養の深さが伺えるお品物となっています。

また碩叟宗室は大変器用な人だったと言われ、書画や能や唄、和歌なども嗜み多彩な才能を持っていました。