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11代 精中宗室(玄々斎) 1810-1877
精中宗室の生涯
精中宗室は、三河国奥殿藩主松平乗友の子として生まれましたが、裏千家10代目の柏叟宗室には息子が居なかった為、当時交流のあった松平乗友の子供、精中宗室を養子として迎えました。
10歳の頃養子入りした精中宗室ですが、17歳の頃に裏千家10代目の柏叟宗室が亡くなり、その後柏叟宗室の妻である松室宗江に茶道の手解きを受けます。
柏叟宗室の妻である松室宗江は、とても優れた茶人と言われています。
優れた茶人、松室宗江から指導を受けた精中宗室は、その後成人して、柏叟宗室の長女と結婚し、正式に裏千家11代目を継ぎました。
精中宗室は、利休二百五十回忌の茶会を機に、咄々斎の表門や玄関をはじめ、咄々斎、大炉の間、抛筌斎、精々軒等の増築を行いました。
その他にも、裏千家の作法に手を加え表千家とは異なる形に変えました。この出来事が現在の表千家と裏千家の違いを作ったと言われています。
精中宗室は、大名の子という血筋の良さを活かして多くの大名や国家と親交を深め日本全国を旅し、その途中で茶箱手前と呼ばれる作品を考案しました。
また、明治維新後には茶道界を代表して政府に建白書を提出するなど、茶道界に大きく貢献しました。
精中宗室は挙げたらキリがない程数多くの功績を残し、その跡を一如斎という名の息子に継がせようとしますが、17歳で亡くなってしまった為婿養子を迎えます。
茶匠として数多くの貢献を果たした精中宗室ですが、1877年67歳でこの世を去りました。
精中宗室の好み物
精中宗室は、3つの特徴を持った好み物を持ったと言われています。
1つが利休の侘び寂びを反映した作品、2つ目は絢爛とした華やかな作風の作品、3つ目は歴代茶匠の好みを取り上げて精中宗室流に手を加えた再好みの三種類です。
格式にとらわれる事なくおもしろき事を楽しく執り行う事は茶道の精神そのものと言えました。
精中宗室は太平の江戸から近代の明治に移り変わる激動の時代を生き抜き、異端児、革命児とも呼ばれ、この時代に相応しい茶匠だと言われました。