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8代 一燈宗室(又玄斎) 1719-1771
一燈宗室の生涯
一燈宗室は、表千家6代原叟宗左の3男として1719年に生まれ、兄弟では表千家7代天然宗左と裏千家7代竺叟宗室がいて、2人の弟にあたります。
兄の竺叟宗室が25歳という若さで早世し、妻を娶る前に亡くなった為跡取りがいなく、一燈宗室が15歳で今日庵の養子に入り裏千家8代目を継ぐことになりました。
一燈宗室は若い時に天然宗左から茶道の伝統的な知識と技術を学び、天然宗左とともに七事式の制定を行ったことで知られています。
七事式は一燈宗室と兄の竺叟宗室により弟子達がしっかりと茶道を学べるようにという思いから、大徳寺の無学宗衍などの協力もあり制定されました。
また、七事式は町人文化が成熟するにあたり多くの町人が茶道を学ぶようになり、弟子達に効率よく茶道を学んで欲しいという思いから考えだされました。
茶道というと表千家、裏千家などの作法や伝統などがあり、大変堅苦しく感じますが七事式は遊戯性を含んでいた為、多くの人々に親しまれたと言われています。
茶道の人口が増えてきたこの頃に、七事式のおかげで町人富裕層に広く普及出来たこともあり、三千家は茶道の代表格として語られることになります。
七事式を制定した一燈宗室はその後、茶道の作法や道具の説明などを記した浜之真砂という本を出版しました。
浜之真砂という本のように茶道の作法などは高弟が書き記す事はありましたが、宗匠が書く事はなく大変珍しいと言われています。
しかし、それまでの千家では茶道の作法に関して秘伝・口伝が一般的で、必要以上に情報が漏れないようにと対策を取っていました。
千家での秘伝・口伝という禁を破った一燈宗室ですが、この取り組みにより裏千家中興の祖と呼ばれ、裏千家は隆盛を誇るようになります。
また弟子の育成にも力を注ぎ、門下には狩野宗朴や、後に速水流の始祖となる速水宗達などの逸材を輩出しました。
一燈宗室の好み物
一燈宗室は、古流に準じた好み物を多く残していて、代表的な作品は龍頭茶入と呼ばれる品物で独特な形が特徴となっています。
古流の侘びを持ち、重量感も兼ね備えた作品が多く、歴代の宗匠の中では最も重量感を感じられるお品物を作りました。
また、高麗卓や高麗台子、鳳凰風炉なども多く残されていて、裏千家4代目仙叟宗室や裏千家11代目精中宗室などと並び多くの好み物を伝えています。
茶道の知識や技術を持つ一燈宗室は、道具の審美鑑定にも確かな才能を発揮しました。
まだまだ活躍が期待されていた一燈宗室ですが、1771年52歳でこの世を去ってしまいます。