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6代 泰叟宗室(六閑斎) 1694-1726

泰叟宗室の生涯


裏千家5代目常叟宗室の長男として1694年に生まれ、幼名を政吉郎、名を宗安・宗室、号を六閑斎・泰叟と言います。


泰叟宗室は裏千家6代目を継ぎ、多彩な才能と多大なる美意識を兼ね備えた茶匠でした。


父の常叟宗室が32歳で亡くなった為、泰叟宗室は11歳という若さで6代目を継ぐ事となります。

その後、父と同じく松山藩久松家と前田家に仕えますが茶道を指導してくれる父親が亡くなっていた為、表千家の巨匠とも言われ名の高い6代目原叟宗左に茶道の指導を受けます。


原叟宗左は泰叟宗室の祖父、仙叟宗室に茶道を教わっていた事もあり、その知識や技術を教え返すように指導を行いました。


また、原叟宗左の長男、天然宗左と親交があり合作の作品を製作するなど、とても人脈に恵まれた幸せな少年時代を過ごしました。


16歳で松山藩に出仕し京屋敷留守居を任されるなど信頼も厚く、江戸屋敷にも足繁く通うようになります。

しかし、父と同じで体の弱かった泰叟宗室は、松山、京、江戸、加賀へと出向く生活がとても重荷になったそうです。


また妻が亡くなった事も大きな影響となり、これからの活躍が大いに期待されていた茶匠でしたが、1726年に33歳という若さで亡くなりました。


33歳で亡くなるという短い人生でしたが、多彩な才能と多大なる美意識を兼ね備えたと言われています。

そのように伝えられているのには、少ない作品の中でも美しい物が多数残されているからだそうです。


絵の才能に優れ、能書家という一面も持っている為、筆勢豊かな作品を残しました。

その中でも有名なのは丙午の茶碗と言われ、手捏ね茶碗の代名詞となっています。