茶人は独自の工夫やデザインを職人に伝え、
職人はその工夫やデザインを茶道具に反映させます。
そういった茶道具を茶人の名前を冠して「~好み」や「~好み物」というのです。
著名な茶人や家元宗匠が、好み物として茶道具を入れる箱の甲や蓋裏などに
書付を行う事があり、そういった書付茶道具は評価が高く
高価買取になる事がございます。
このページでは三千家家元などの花押と功績をご紹介しておりますので、是非ご覧下さい。
三千家歴代家元*名前をクリックすると紹介文へジャンプします
初代 | 千利休宗易(抛筌斎) | ||
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2代 | 千少庵宗淳 | ||
3代 | 千元伯宗旦(咄々斎) | ||
表千家 | 裏千家 | 武者小路千家 | |
4代 | 江岑宗左(逢源斎) | 仙叟宗室(臘月庵) | 一翁宗守(似休斎) |
5代 | 良休宗左(随流斎) | 常叟宗室(不休斎) | 文叔宗守(許由斎) |
6代 | 原叟宗左(覚々斎) | 泰叟宗室(六閑斎) | 真伯宗守(静々斎) |
7代 | 天然宗左(如心斎) | 竺叟宗室(最々斎) | 堅叟宗守(直斎) |
8代 | 件翁宗左(啐啄斎) | 一燈宗室(又玄斎) | 休翁宗守(一啜斎) |
9代 | 曠叔宗左(了々斎) | 石翁宗室(不見斎) | 仁翁宗守(好々斎) |
10代 | 祥翁宗左(吸江斎) | 柏叟宗室(認得斎) | 全道宗守(以心斎) |
11代 | 瑞翁宗左(碌々斎) | 精中宗室(玄々斎) | 一叟宗守(一指斎) |
12代 | 敬翁宗左(惺斎) | 直叟玄室(又玅斎) | 聴松宗守(愈好斎) |
13代 | 無盡宗左(即中斎) | 鉄中宗室(圓能斎) | 徳翁宗守(有隣斎) |
14代 | 宗左(而妙斎) | 碩叟宗室(無限斎,淡々斎) | 不徹斎宗守 |
15代 | 汎叟宗室(鵬雲斎) | ||
16代 | 玄黙宗室(坐忘斎) |
初代 利休宗易(抛筌斎) 1522-1591
利休宗易の生涯 利休宗易は千利休の名でよく知られています。またわび茶の完成者として今井宗久、津田宗及と共に茶湯の天下三宗匠と呼ばれました。堺の商家である魚屋(ととや)の生まれで、家業は納屋衆と呼ばれる倉庫業です。若年から茶の湯に親しみ、幼名を与四郎、法名を宗易(そうえき)、抛筌斎(ほうせんさ...
2代 少庵宗淳 1546-1614
少庵宗淳の生涯 少庵宗淳は、母の宗恩が利休の後妻となった為、利休の養子、後に女婿となりました。 元々、先天的に片足に障害を持っていた少庵宗淳は、千家内での立場が弱かった事実が確認されています。 また義兄の千道安とは年が同じなせいか、逸話などでも対比で語られることが多いです。 ...
3代 元伯宗旦(咄々斎) 1578-1658
利休の後妻の連れ子であった千少庵と利休の娘との間に生まれ、少庵の興した京千家を継ぎました。 宗旦は祖父利休の希望で10歳の頃大徳寺に預けられ、春屋宗園の元で前の修行を積んで得度します。このことは父である少庵が利休の後妻の連れ子であったことから、家督争いを避けるためだったと言われています。 1...
4代 江岑宗左(逢源斎) 1913-1672
江岑宗左の生涯 千宗旦の三男で、宗旦の隠居に伴って不審菴を継承します。 紀州徳川家に茶頭として出仕しており、これ以降代々表千家では茶頭として紀州徳川家に出仕することとなりました。 表千家は、江岑宗左が千家嫡流を継いだことにより正式に始まり、後に兄の宗守が武者小路千家、弟・宗室が裏...
5代 良休宗左(随流斎) 1650-1691
良休宗左の生涯 久田宗利の子で久田宗全の弟にあたります、子がいなかった4代目江岑宗左の養子として家を継ぎました。 はじめ宗巴を名乗り、のちに宗左となりますが、自ら好んで人編のある「宗佐」を用いたため「人偏そうさ」と呼ばれました。 宗匠ながら大変ユニークな考えをお持ちの方でした。 義父...
6代 原叟宗左(覚々斎) 1678-1730
原叟宗左の生涯 原叟宗左は久田宗全の息子ですが、元々後嗣としていた三浦宗巴(友流斎)が夭折したため、12歳で養子に迎えられ6代目を継ぎました。 また、点前も名手の聞こえ高く、禅を大心和尚から学んで自らの修養にも励みます。 原叟宗左は18歳で正式に裏千家を継いでから亡くなるまでの間新し...
7代 天然宗左(如心斎) 1705-1751
天然宗左の生涯 6代原叟宗左の長男で当初は宗員と名乗り、のちに宗左となり不審菴7代目を継ぎます。 天然宗左は父の原叟宗左が模索した自由な茶風を再現した人物とされ、表千家中興の祖としても知られています。 また、裏千家7代竺叟宗室(最々斎)と裏千家8代一燈宗室(又玄斎)は実弟で、一燈宗室...
8代 件翁宗左(啐啄斎) 1744-1808
件翁宗左の生涯 表千家7代天然宗左の子で父を早くに亡くしたため、14歳で代を継ぐこととなります。 裏千家8代で叔父の一燈宗室や川上不白をはじめ優れた人達から茶道を学び、やがて成人した頃には立派に宗匠を務め上げました。 45歳のころ京都の大火で表千家の屋敷が焼失したせいか、伝来道具を残し他...
9代 曠叔宗左(了々斎) 1775-1825
曠叔宗左の生涯 8代目件翁宗左が還暦で隠居し、また跡を継ぐはずの長男、長女が早世してしまいます。 件翁宗左の跡を継ぐものがいなくなってしまった為、久田家の6代目久田宗渓の子として生まれた、曠叔宗左が婿養子として表千家に入ります。 その後、34歳で正式に表千家の9代目を継ぐ事となりました。...
10代 祥翁宗左(吸江斎) 1818-1860
祥翁宗左の生涯 祥翁宗左は、久田家7代久田宗也の子として生まれましたが、表千家の10代目を継ぐ者がいなく、8歳の頃家元に養子として迎えられました。 翌年に吸江斎の号を受けた祥翁宗左は、表千家9代件翁宗左の甥に当たり、10歳になると紀州徳川家に出仕します。 19歳で、紀州徳川家にて...
11代 瑞翁宗左(碌々斎) 1837-1910
瑞翁宗左の生涯 表千家10代祥翁宗左の長男として生まれ、19歳の頃表千家11代目を受け継ぎます。 紀州徳川家へ出仕しますが、1868年に始まった明治維新とそれに続く文明開化により、茶道に対する関心も薄れます。 また、表千家4代江岑宗左から続いていた紀州徳川家への出仕もなくなってしまいまし...
12代 敬翁宗左(惺斎) 1863-1937
敬翁宗左の生涯 表千家11代瑞翁宗左の長男として生まれ、30歳で12代目を継ぐという少し遅咲きになりました。 瑞翁宗左は、敬翁宗左に12代目を継がせた後も亡くなるまで親子二人三脚で茶道を盛り上げていきました。 茶道は明治維新により一時衰退期を迎えましたが、父、11代瑞翁宗左の功績...
13代 無盡宗左(即中斎) 1901-1979
無盡宗左の生涯 無盡宗左は、12代目敬翁宗左の次男として1901年に生まれ、幼名を覚二郎と言いました。 次男として生まれた無盡宗左ですが、1936年に兄を亡くし、その翌年に父親も亡くなった為1937年に表千家13代目を継ぐこととなります。 また、多くの方が聞いたことのある即中斎という...
14代 宗左(而妙斎) 1938-
而妙斎宗左の生涯 而妙斎宗左は、13代無盡宗左の長男として1938年に生まれ、幼名を岑一郎、名を宗員、宗左、号を而妙斎と言います。 父、無盡宗左が亡くなった翌年の1980年、42歳という大変遅い年齢で14代目を継ぎ、現在も活躍されています。 中央大学文学部を卒業しており、その後は...
4代 仙叟宗室(臘月庵) 1622-1697
仙叟宗室の生涯 仙叟宗室は茶人、千宗旦の4男として1622年に生まれ75歳で亡くなるまで数多くの功績を残しています。 父の千宗旦は、隠居後3男の江岑宗左に跡を継がせ、千宗旦は自身の敷地内に作ったとされる茶室で余生を過ごしました。 4男の仙叟宗室は、始めから茶道に興味はなく幼い頃か...
5代 常叟宗室(不休斎) 1673-1704
常叟宗室の生涯 裏千家4代仙叟宗室の長男として1673年に生まれ、父、仙叟宗室の死後、25歳で5代目裏千家を継ぎました。 5代目を継いだ常叟宗室ですが、悲劇の人と語られる事の多い宗匠と言われています。 常叟宗室は、父、仙叟宗室が50歳を過ぎた時に後妻との間に生まれましたが、母は常叟宗室が...
6代 泰叟宗室(六閑斎) 1694-1726
泰叟宗室の生涯 裏千家5代目常叟宗室の長男として1694年に生まれ、幼名を政吉郎、名を宗安・宗室、号を六閑斎・泰叟と言います。 泰叟宗室は裏千家6代目を継ぎ、多彩な才能と多大なる美意識を兼ね備えた茶匠でした。 父の常叟宗室が32歳で亡くなった為、泰叟宗室は11歳という若さで6代目...
7代 竺叟宗室(最々斎) 1709-1733
竺叟宗室の生涯 竺叟宗室は、表千家6代原叟宗左の次男として1709年に生まれ、幼名を政之助、号は最々斎、宗乾と言いその生き様には多くの不明な点がある茶匠です。 また、兄には表千家7代目天然宗左がおり、一緒に漢学を学んだという記録が残されていました。 原叟宗左の次男として生まれましたが、裏...
8代 一燈宗室(又玄斎) 1719-1771
一燈宗室の生涯 一燈宗室は、表千家6代原叟宗左の3男として1719年に生まれ、兄弟では表千家7代天然宗左と裏千家7代竺叟宗室がいて、2人の弟にあたります。 兄の竺叟宗室が25歳という若さで早世し、妻を娶る前に亡くなった為跡取りがいなく、一燈宗室が15歳で今日庵の養子に入り裏千家8代目を継ぐこ...
9代 石翁宗室(不見斎) 1746-1801
石翁宗室の生涯 石翁宗室は、裏千家8代目一燈宗室の長男として1746年に生まれ、父一燈宗室が亡くなったのを機に26歳で9代目を継ぎます。 石翁宗室の幼名は粂三郎、名は玄室・宗室・石翁、別号に寒翁・洛北閑人などがあり、また加賀藩前田家、伊予松山藩久松家に出仕していました。 父の一燈...
10代 柏叟宗室(認得斎) 1770-1826
柏叟宗室の生涯 柏叟宗室は、9代目石翁宗室の長男として1770年に生まれ、父の石翁宗室が亡くなったのをキッカケに35歳で、10代目を継ぎました。 茶道を父に学んだ柏叟宗室は、実践だけで覚えるのではなく、教えもらった事をきちんとメモに残す程几帳面な性格だったと言われています。 その後、父の石翁...
11代 精中宗室(玄々斎) 1810-1877
精中宗室の生涯 精中宗室は、三河国奥殿藩主松平乗友の子として生まれましたが、裏千家10代目の柏叟宗室には息子が居なかった為、当時交流のあった松平乗友の子供、精中宗室を養子として迎えました。10歳の頃養子入りした精中宗室ですが、17歳の頃に裏千家10代目の柏叟宗室が亡くなり、その後柏叟宗室の妻...
12代 直叟玄室(又玅斎) 1852-1917
直叟玄室の生涯 直叟玄室は、京都の名門と呼ばれる角倉家、角倉玄寧の息子として生まれましたが、裏千家11代目の精中宗室に男子がいなかったため、婿養子に入り、裏千家12代目を継ぎました。 直叟玄室は、明治初期の時代が移り変わる苦悩な時期に精中宗室と一緒に乗り越えました。 精中宗室に多くの知識や技...
13代 鉄中宗室(圓能斎) 1872-1924
鉄中宗室の生涯 鉄中宗室は、裏千家12代直叟玄室の長男として生まれ、直叟玄室が周囲の風当たりが強く早々に隠居したため、それに伴って家督を継ぎました。 13代目を継いだ鉄中宗室ですが、その当時の年齢は13歳と若く、まだ知識を身に着けていない状態でしたので、母に多くの知識や技術を教わります。...
14代 碩叟宗室(無限斎) 1893-1964
碩叟宗室の生涯 碩叟宗室は13代鉄中宗室の長男として1893年に生まれ、30歳の頃父、鉄中宗室が亡くなったのを機に14代目を継承しました。 碩叟宗室は、大徳寺488世円山伝衣老師より「無限斎」の号を、九鬼家より「淡々斎」の号を授かっています。 一般的には後に付いた号が無限斎だったので、無限斎...
15代 汎叟宗室(鵬雲斎) 1923-
汎叟宗室の生涯 汎叟宗室は、裏千家14代碩叟宗室の息子として1923年に生まれ、1964年に父が亡くなりそれに伴い41歳で15代目を受け継ぎます。 幼い頃は体が弱かった汎叟宗室ですが、馬術で体を鍛え1943年の太平洋戦争では終戦まで海軍に在籍していました。 太平洋戦争の終戦間際には海軍少...
16代 玄黙宗室(坐忘斎) 1956-
玄黙宗室の生涯 玄黙宗室は15代汎叟宗室の長男として1956年に生まれ、本名は政之と言い、斎号は坐忘斎、若宗匠時代は宗之と名乗り、妻は三笠宮崇仁親王の次女容子内親王です。 同志社大学の文学部、心理学科を卒業し、大徳寺にて参禅得度して坐忘斎を授かり、2002年に父、汎叟宗室の隠居に伴い、裏千家...
4代 一翁宗守(似休斎) 1593-1675
一翁宗守の生涯 一翁宗守は千宗旦の次男として1593年に生まれ、その後父千宗旦に進められ、後に千家十職となる塗師、吉文字屋与三右衛門の家に養子に出されます。 養子に出された一翁宗守は、吉岡甚右衛門と称し塗師として日々技術を学び、とても優れた才能を持っていたと言われています。 しかし、兄弟達に...
5代 文叔宗守(許由斎) 1658-1708
文叔宗守の生涯 文叔宗守は武者小路千家4代目一翁宗守の息子として1658年に生まれ、父親の一翁宗守が亡くなったのを機に武者小路千家5代目を継ぐ事となります。茶匠というと、伝聞が多くあるイメージですが、文叔宗守は歴代茶匠の中でも伝聞が非常に少ない1人と言われていました。伝聞が少ない文叔宗守...
6代 真伯宗守(静々斎) 1693-1745
真伯宗守の生涯 真伯宗守は、武者小路千家5代文叔宗守の子として1693年に生まれ、父親の他界を機に15歳で6代目を襲名し、高松松平家へ出仕します。芸術肌の茶匠と呼ばれた真伯宗守に能書や手捏ねなどを作らせれば右に出る物はいなく、才能の豊かさは歴代茶匠の中で随一と呼ばれています。真伯宗守が活躍し...
7代 堅叟宗守(直斎) 1725-1782
堅叟宗守の生涯 堅叟宗守は嵯峨家の出身で、幼名は久之丞、宗守は名、別号に直斎があります。 武者小路千家6代真伯宗守に息子がいなかった為、養子として迎えられ真伯宗守が亡くなった1745年に7代目を相続しています。 また、官休庵の中興と呼ばれ、表千家7代目天然宗左や裏千家8代目一燈宗室らと共に茶...
8代 休翁宗守(一啜斎) 1763-1838
休翁宗守の生涯 休翁宗守は、川越兵庫の子として1763年に生まれ、武者小路千家7代目堅叟宗守の弟子として活躍していましたが、堅叟宗守には息子がいなかった為、後に養子として8代目を継ぎました。 その後、高松藩松平家の茶頭として数多くの功績を残し活躍していた休翁宗守は、特に松平不昧から多大なる信...
9代 仁翁宗守(好々斎) 1795-1835
仁翁宗守の生涯 仁翁宗守は裏千家9代目石翁玄室の三男として1795年に生まれ、兄には裏千家10代目柏叟宗室などがいて幼い頃から茶道を学びました。 武者小路千家8代目の休翁宗守には息子がいなかった事から、仁翁宗守が養子として迎えられました。 その後、武者小路千家10代目を継ぐ事となりますが...
10代 全道宗守(以心斎) 1830-1891
全道宗守の生涯 全道宗守は久田家7代久田宗也の3男として生まれ、兄には表千家10代目祥翁宗左がいます。武者小路千家9代目の仁翁宗守が早くに亡くなった為、急遽養子として武者小路千家10代目を継ぎました。幼い頃から父の久田宗也や、兄の祥翁宗左に茶道の指導を受けていたので、その技術は素晴らしいとさ...
11代 一叟宗守(一指斎) 1848-1898
一叟宗守の生涯 一叟宗守は表千家10代祥翁宗左の次男として1848年に生まれ、50歳まで武者小路千家11代を守りぬきました。 表千家11代目瑞翁宗左の弟にあたる一叟宗守は、武者小路千家10代目全道宗守が失明し早くに隠居に入ったのをキッカケに養子になります。 その後、11代目を継いだ一叟宗守で...
12代 聴松宗守(愈好斎) 1889-1953
聴松宗守の生涯 聴松宗守は久田家10代久田宗悦の次男として1889年に生まれますが、武者小路千家11代一叟宗守に息子がいなかった為、養子として迎えられました。 聴松宗守が9歳の頃に一叟宗守が亡くなり、聴松宗守がまだ幼かった為、表千家に引き取られ11代目瑞翁宗左や12代目敬翁宗左などから茶道を...
13代 徳翁宗守(有隣斎) 1913-1999
徳翁宗守の生涯 徳翁宗守は1913年に生まれ、後に知識を学ぶ為に帝国大学に入学国史科を専攻し、卒業後、武者小路千家12代聴松宗守の娘と結婚しました。 12代聴松宗守には息子がいなかった為、娘と結婚した徳翁宗守が婿養子として13代目を継ぐ事となりました。 大学で学んだ知識を活かし、51歳で...
14代 不徹斎宗守 1945-
不徹斎宗守の生涯 不徹斎宗守は、1945年に料理研究家の千澄子と、13代徳翁宗守との間に長男として生まれました。 慶応大学法学部を卒業し、同大学大学院で美学美術史を修め、それを終えると家業に従事し、父親のもとで点前や作法、茶の湯の修行を行いました。 1974年には後嗣号「宗屋」を襲名し、...
堀内家
代々表千家の宗匠を務めている茶家で、庵号は長生庵(ちょうせいあん)です。 開祖は堀内仙鶴で鶴翁、化笛斎、長生庵とも号しました。 堀内浄佐の養子で俳諧を学び、表千家6代原叟宗左の門下に入り、茶の湯に俳諧を定着させます。句集では、わすれ草、西の空、琴柱、十二月箱等が知られ、古器を愛し造詣が深かっ...
久田家
三千家の親戚として表千家の茶を業とする高倉久田家と、江戸中期に分家し、久田流を称する両替町久田家があります。 初代は久田刑部の子で名は房政と言い、はじめ宗玄と称し、のちに宗栄と改めました。 父は佐々木氏に仕え、母は千利休の妹、宗円と伝えられています。 宗栄は千利休の門下で茶を極め、秀吉の命で...
藪内流
古儀茶道藪内流とも呼ばれる、茶道の流派の一つです。 義兄である古田織部から譲り受けた茶室を持ち、庵号は燕庵といいます。 茶風は武野紹鴎、千利休の侘び茶に、利休七哲に数えられる古田織部の影響を強く受けました。 千家と同じく長い歴史を誇っており、点前においては三千家以上に千利休の点法に近いと言わ...
遠州流
小堀正一(遠州)を祖とした小堀家本家に伝わる武家茶道です。 また正一が家督を継ぐ際に弟小堀正行に分知した小堀遠州流という流派もあります。 遠州流は武家茶道の代表的な流儀で、千利休の侘び寂びに対して、遠州独特の美意識を加えた「綺麗さび」と称される茶風が特徴的です。 初代の小堀正一は若い頃から古...