茶道具の買取を行っているいわの美術では、江戸後期から現代まで続いている名工鋳金家本間琢斎の茶托をお買取り致しました。
本間琢斎とは、江戸時代から続く鋳金家で現在は六代目が伝統を受け継ぎ作品制作を行っています。
本間琢斎の歴史は、初代本間琢斎が佐渡奉行に頼まれ大砲を鋳造した事から始まり、明治維新後には美術品を作る作家として自分の技術力を出し切り作品制作にのめり込みました。
また、飛鳥時代に多く使われていた蝋型鋳金という技術を用いて作品を作っていた本間琢斎は、銅に着色を施す斑紫銅という技法を開発して鋳金の世界に大きな功績を残しました。
その後、二代目・三代目・四代目と跡継ぎが増え、現在では五代本間琢斎の息子が六代目を引き継ぐ為、日々父親の指導を受けながら作品制作に励んでいます。
お買取りした作品について
今回お買取りした本間琢斎の茶托は、炎が作り出す斑紫銅という技法で作られた茶托に
画家である児玉果亭が絵を描いた素晴らしい作品となっています。
本間琢斎が得意とする斑紫銅という技法は、型に入れて焼きあがった銅器を磨き、作品をそのまま火の中に入れて銅器の周りが溶けだす寸前で取り出しさらに磨きをかけて完成させます。
火の勢いや当たり所によって模様の出来も変わる為、どれ1つとして同じ模様の作品は作られません。
人が考えて色を付け加えるのではなく、炎が作り出した自然の模様がとても美しいと多くの人々から人気を得ています。
また、茶托に絵を描いた児玉果亭は、明治時代に活躍した郷土愛の強い画家として有名です。
幼い頃から絵を描き、15歳では同じく画家の佐久間雲窓に就いて画家としての技術を学びました。
鋳金家の本間琢斎・画家の児玉果亭・炎が作り出す斑紫銅という3つを組み合わせて作られた作品は、とても美しく侘び寂びを感じさせる作品に仕上がりました。
買取可能な茶托作家
内山大介、秦蔵六、三浦研斎、大岡鉄平
金谷五郎三郎、吉村豊二、中川浄益
山口丹金、松尾忠久、尚美堂、高橋重弘
玉川堂、亀文堂、真藤玉真、清課堂など
熱いお茶を出す際に使われる茶托には、錫や銅・金・銀の金属、漆器などの木、陶器、竹など様々な種類があります。
茶托は、湯呑を乗せる台として使われていますが、それだけではなく湯呑を引き立たせる為にとてもシンプルなデザインで作られています。
茶道具の中では、小さめで目立たない存在ですが、小さいながらにも侘び寂びを感じさせる作品として、茶托コレクターも多くいらっしゃいます。
今回お買取りした茶托は、斑紫銅という銅を着色する技法が用いられ、銅に紫の斑点のような模様がついた事から斑紫銅と呼ばれるようになったと言われています。
お買取りした茶托には少し傷がついていて、箱は割れてしまっていましたが、鋳金家として有名な本間琢斎が作った茶托に児玉果亭が絵を描いた素晴らしい作品でしたので、高評価にてお買取り致しました。
いわの美術では、本間琢斎の作品以外でも、幕末から現在まで蝋型鋳金の技術を守り続けている秦蔵六や、金銅色など銅の着色方法を開発した金谷五郎三郎の作品もお買取りしております。
買取について
上記に記載している有名な金工師や鋳金作家、工房の作品ですと、高評価の可能性が高くなりますが、今回お買取りしたお品物のように箱が破損していますと良い作品でも高評価を出せない事があります。
「箱は捨ててしまった」とか「蔵に置きっぱなしだったからボロボロで・・」というお話をよく聞きますが、箱が綺麗な状態で残っている事で作品にプラスの査定額が付きます。
「蔵の中全然片づけてないな」とか「おじいちゃんからもらった茶道具は、どこに仕舞ったかな」という方がいらっしゃいましたら、一度お家の中を整理してみましょう。
お家の中整理中に木箱入りの茶碗や茶托が出てきたら、元の場所に戻す前に一度いわの美術までお問い合わせ下さい。
作家名が分かるなら電話でも大丈夫ですが、作家名が分からない場合は、作品全体・作品に付いている刻印・箱に書かれている文字など画像で頂けますと、スムーズに査定を行えます。
事務所の整理やお引越し、遺品整理などで処分にお困りのお品物などございましたら、お気軽にいわの美術までお問い合わせ下さい。