茶碗・茶盌(ちゃわん)
現代では飯碗などの陶磁器の器も茶碗と呼称していますが、
本来は茶を入れて飲む器を指します。
茶碗が正史に姿を見せた思われる最古の資料は、
承和7年(840年)に藤原冬嗣・藤原緒嗣らによって
完成した『日本後紀』という勅撰史書に記述があります。
そこには近江の国(現在の滋賀県)の梵釈寺を任されていた
大僧都永忠(だいそうずえいちゅう)が
弘仁6年(815年)に嵯峨天皇(さがてんのう)に
茶を煎じて献上したとの記述があります。
その為、その頃には茶碗が
日本に存在していたことが確実視されています。
勅撰史書の様な正史ではないが更に古い文献には
奈良時代(710~784年頃)の『正倉院文書』には「荼(と)十五束」や「荼七把」などの
記述があるため、奈良時代から平安時代(794~1185/1192年頃)に掛けて茶と共に、
茶碗が中国から日本に伝来したと考えられていますが、伝来の正確な年数は不明です。
奈良時代・平安時代の当初の頃は、天皇・貴族・僧侶などの一部の上流階級のみ
が茶を愉しむ事ができ、一般的には普及はしておらず、
鎌倉時代(1185~1333年頃)・室町時代(1333~1573年頃)にかけて
茶を飲む習慣が広まっていくようになり、この時代に茶を飲む為に
使用された容器として使われたのが天目茶碗といわれています。
中世・近世の日本では「茶碗」という言葉は唐物茶道具の磁器の物を
指してそう呼んでおり、先に述べた天目茶碗は分類的に磁器以外の物として
「土之物」に分類されていました。
茶碗の分類が進むと主に、唐物・高麗物・和物として大別されました。
唐物は天目茶碗・青磁茶碗(辰砂茶碗)・白磁茶碗など、
高麗物(唐物と纏める場合もあり)は高麗茶碗・井戸茶碗・三島茶碗など、
和物は楽焼茶碗・萩茶碗・唐津茶碗として分類し季節や趣向に応じて使い分けられました。
有名な言葉として「一楽・二萩・三唐津」などという茶碗の格と茶事における
重要性・美術観を指している言葉がありますが、
茶事・茶会・季節や客により、茶碗を使い分けることが一般的です。
※茶碗の形や焼き物の種類※
・焼きの種類
:天目・・天目釉と呼ばれる鉄釉をかけて焼かれた陶磁器。
中国の天目山で焼かれていた焼き物が、当時中国に留学していた禅僧により日本に伝わり、二段口作りの構造で茶の保温に優れている事から多くの茶人に好まれました。
また、鉄釉の中の鉄分の濃さにより、色合いが異なり少ない比率だと青磁、多い比率ですと黒滋となりその美しい色合いが多くの人々を魅了しています。
:青磁・・中国が起源とされる美しい青緑の陶磁器。
高火度で焼かれる事で原料の酸化第二鉄が還元されて酸化第一鉄となり綺麗な発色が出ます。
日本で青磁が生産されたのは17世紀以降で有田や色絵などと兼用される事が多かったと言われています。多くの青磁には象嵌が施されていて、浮き出たような模様がとても美しく歴史を感じさせるお品物となっています。
:井戸・・朝鮮で作られた高麗茶碗の一種で、竹の節高台と呼ばれる高い高台を持ち、鮫肌状が特徴となっています。
素朴で力強く侘び寂びが感じられるお品物として多くの茶人から人気を博しています。
井戸茶碗は、本来茶の湯用ではなく雑器として作られましたが、桃山期の武将や茶人の好みにかない、それ以降重宝される抹茶碗となりました。その素晴らしさから、高麗茶碗の中では最高峰の茶碗と言われています。
:刷毛目・・李朝初期の時代に焼かれた陶磁器で、高麗茶碗の一種とされています。
刷毛目茶碗の刷毛目という名前は、加飾法の一種で泥漿の化粧土を筆などで塗り、塗り目の白い線が模様となります。
この技法は李朝白磁が宗教的に重要視されるようになり、一般的に使用が禁止された事から白磁に似せた作品として作られたと言われています。
:三島・・李朝初期に朝鮮半島で焼かれた高麗茶碗の一種です。
白土の化粧をして象嵌や線刻、掻き落しなどで模様が入っているのが特徴で、現在の韓国では青磁や白磁と並びよく知られている陶磁器となります。
三島茶碗が日本に伝わったのは室町時代末期と言われ、主に侘び数寄の茶人達に多く愛されていた三島茶碗は現在でも多くの人気を集めています。
:玉子手・・玉子の殻のように滑らかで黄色がかった釉薬の色が玉子に似ている事から名付けられた玉子手茶碗は、朝鮮で作られた高麗茶碗の一種です。
見た目は熊川茶碗に良く似ていますが、胴が丸く張り大きめの竹の筋高台を持つ熊川茶碗に対し、玉子手茶碗は胴がやや丸く、低めの竹の筋高台をしているのが特徴です。
:金海・・朝鮮の慶尚南道の近く、金海窯で作られた焼き物で、高麗茶碗の一種と言われています。また、磁器質の素地に乳白の釉薬をかけてかなりの高温で焼かれる事から金海堅手茶碗とも呼ばれました。作行は薄手で腰のあたりがふっくらとした椀型、口縁は桃形、州浜形、小判形などが多く、高台はどっしりとした撥高台や割高台で作られています。
:御本・・安土桃山から江戸初期にかけて、日本で茶碗のデザインを練り、韓国に注文して作らせた高麗茶碗の一種になります。名前にもある通り、見本のデザインを中国に渡し作らせた事から御本茶碗と呼ばれました。
薄造りで絵付けなどが施され割高台で作られている作品が多く、また胎土の成分から焼いた時に赤い斑点が現れる事もあるのが特徴となります。
:柿の蔕・・李朝初期の時代に作られたとされる柿の蔕茶碗は高麗茶碗の一種と言われています。韓国から伝わった柿の蔕茶碗は、茶碗を伏せた形と色合いが柿の蔕に似ている事から日本の茶人が名付けたと言われています。
鉄分が多く含まれている砂を含んだ素地に薄く釉薬をかけて作られ、暗褐色の色合いに厚手に作られています。しかし手に取ると軽く、また色合いも渋く侘びた雰囲気を醸し出している事から多くの茶人に人気の作品となりました。
:呉器・・朝鮮で作られた呉器茶碗は高麗茶碗の一種で、御器や五器とも書かれます。
呉器という名前は、禅院で使われていた飲食用の木椀の御器に形が似ている事から名付けられました。多くの作品は大振りで見込みが深く、撥高台がついているのが特徴で、色合いは薄青みがかった半透明の釉薬がかけられ侘び寂びを思わせる作品となっています。
:粉引・・韓国の全羅南道にある長興、宝城、高興、順天などで焼かれていた粉引茶碗は粉吹とも呼ばれ、高麗茶碗の一種でもあります。
黒褐色や淡褐色の素地に、全体的に白泥をかけた上に釉薬を薄くかけて焼き上げる事により白い粉が噴き出しているように見える事から粉引きと呼ばれました。
粉引は白磁が一般的に使用出来なくなってしまった為、その代用品として作られたと言われています。
:楽・・「一楽・ニ萩・三唐津」という言葉は有名ですがこの言葉のように楽茶碗は日本古来から語り継がれている作品です。
千利休の侘び寂びの精神を汲み取り、楽家の長次郎が作り出した作品が楽茶碗の始まりとされています。一般的に焼き物とは轆轤を使い作られますが、楽茶碗は轆轤を使わない手づくね成形を特徴としています。この技法により暖かみのある侘び寂びの作品が完成しました。
:志野・・安土桃山時代に焼かれたとされる志野茶碗は、美濃で作られた事から美濃焼の一種と言われています。耐火温度が高く鉄分や焼き締りが少ない素地に白釉を厚くかけて焼かれる為優しい印象の作品が出来上がります。
:織部・・多くの作品は美濃地方で生産されている美濃焼の一種で、同じく美濃焼の一種、志野焼の後に作られたと言われています。釉薬により様々な色合いがありますが、一般的に知られているのは緑色の織部焼です。千利休の弟子で大名茶人の吉田織部の指導で作られ始めた織部焼は現在でも数多くの作品を残しています。
:唐津・・「一楽・ニ萩・三唐津」の言葉が有名なように、現在名品と言われている唐津焼は韓国の李朝から同行してきた陶工達により技術が伝わり本格的に生産が始まりました。
朝鮮から伝わった技術の中に蹴轆轤や叩き作りといった技法があり、現在でもこれらの技法を用いて作っている窯も存在します。優しい印象の中に素朴さや渋さが伺える事から、名声を受けているだけの作品と言えます。
:信楽・・日本六古窯の1つにも上げられている信楽焼は、滋賀県甲賀市を中心に生産されている焼き物で、信楽焼と検索すれば狸の置物が出てくるなど、一般的に狸の置物が有名となっています。深い歴史を持つ信楽焼は、炎の勢いで灰が被る灰被りの現象により自然降灰釉の付着や、薪の灰に埋まって焦げがつくなど人工的ではなく炎が生み出す焼き上がりが特徴となります。
:薩摩・・鹿児島県の伝統工芸品にも指定されている薩摩焼は、薩摩藩主の島津義弘公が連れてきた朝鮮人の陶工により発展したと言われています。現在薩摩焼には白薩摩と黒薩摩の2種類があり、白薩摩はクリーム色に近い色合いで暖かみがあり細かな貫入が入っていてその美しさから上層階級の使用品として用いられてきました。一方黒薩摩は漆黒の光沢を持ち重厚な面持ちが特徴で主に生活道具として用いられて来ました。
:萩・・2002年に経済産業省指定伝統的工芸品に認定され、「一楽・ニ萩・三唐津」と呼ばれる程多くの茶人に愛されている焼き物で山口県萩市一帯で生産されています。
1604年に毛利輝元に命により朝鮮人陶工の兄弟が城下で窯を開き作ったのが始まりとされている萩焼は、素朴な色合いが印象的です。また長年使い込むともともと入っていた貫入にお茶やお酒が染みこみ器表面の色が変化する事で枯れた味わいを見せます。この現象を七化けと言います。
・形の種類
:平形・・普通の茶碗と比べ見込みが浅い事から、熱を逃がしやすい為蒸し暑い時期に使われていたと言われています。
浅い見込みに広がった口縁が特徴となり、見た目が涼やかで抹茶が冷めやすい事から5-10月の風炉の時期に用いられるようになりました。
:天目形・・天目茶碗に見られる形で、口が開き底が縮まったすり鉢のような形状が特徴で、口縁が一度内側にすぼまっている様子から鼈口とも言われています。
:井戸形・・井戸茶碗に見られる形で、主に大井戸、小井戸、青井戸の三種類に分ける事が出来、形も少し異なります。
大井戸は丸みをおびて筋高台がどっしりとしている形状で、小井戸は大井戸より少し小ぶりな形です。青井戸は、高台が小さく口縁が広いのが特徴となっています。
:筒・・名前の通り胴の形が筒形になっている茶碗となり、見込みが深い物を深筒形、浅い物を半筒形と呼んでいます。
現在は茶碗として用いられていますが、昔は茶碗としてではなく向付や、香炉、火入れとして使っていた物を茶碗に代用した事で現在の形が出来上がりました。
:杉形・・一般的な茶碗は胴に丸みをおびている作品が多いのですが、杉形は丸みがなく胴からほぼ直線的に広がっているのが特徴の形となっています。
また、杉形茶碗を逆さにすると杉の木に見える事から名前が付けられたと言われています。
:四方・・四方形は、釜や風炉などでも良く見られる形で、茶碗の中ではとても珍しい形をしています。また、利休が好んだとされる四方釜を写して作られたとも伝えられています。
:沓・・とても歪んだ形に作られている沓形茶碗は、履物の一種沓に似せて作られています。
黒織部焼によく見られる形で、これという決まった形がない事から自由な作風が多くの茶人に愛されています。
:鉄鉢・・高台が小さく丸々とした形をしている鉄鉢形は、僧が食事などを受ける為に使う鉄製の鉢に形が似ている事から、鉄鉢形と呼ばれました。
:呉器・・高麗茶碗などに多い形の呉器形は、禅院で用いられていた飲食用の木椀の御器に似ていた事から呉器形と名付けられ、大振りで見込みが深く撥高台が特徴的な形となっています。
:馬盥・・馬盥(バダライ)と読み、名前の通り馬を洗う為の大きな盥に似ている事から名付けられ、高台が小さく厚みがあり重量感が特徴の作品となっています。
:碗・・木製の椀の形に由来する碗形は、茶碗などに一般的に用いられているオーソドックスな形となっています。腰から胴にかけてゆるやかな曲線が特徴の作品となっています。
:俵・・名前の通り穀物などを入れる俵に似せて作られた事から俵形と呼ばれ、萩焼などに多く見られる形です。
一説では、李朝の時代に朝鮮から入ってきた三島手の中に俵形の扁壺が見受けられた事からこの技法が萩焼に伝わったのではないかと言われています。
:筆洗・・小学校などで良く見受けられる絵の具の筆を洗う容器、これを筆洗いと言い、筆洗形はこの容器を真似て作られたと言われています。
筆洗の容器には穂の水気を切り整える為の切り込みが入っていますが、筆洗形も同様に口縁部に切り込みが入っているのが特徴となっています。
:馬上杯・・長い高台に茶碗が付いたようなこの形は、馬上杯形と言われ馬上杯を似せて作られたと言われています。馬上杯は、その昔旅をする人が馬の上でお酒を飲みやすいように高台を高くしてお酒がこぼれないような杯を作った事が始まりとされています。
:唐人笛・・唐人笛とはチャルメラやラッパなどの細い笛の事を指します。
この形を元にして作られた茶碗を唐人笛形茶碗と言い、高台から口にかけて広がった形状が特徴となっています。