棗(なつめ)・薄茶器(うすちゃき)
薄茶器は薄器とも呼ばれ、濃茶を入れる「濃茶器」に対して
薄茶を入れる容器の 「薄茶器」と総称されています。
棗は薄茶器の一種で最も一般的なものをいい、
容貌が黒梅擬(クロウメモドキ)科の植物
の実「棗(ナツメ)」に似ている事からそう呼称されています。
元来は茶入を保管する為に存在した木材を
轆轤(ろくろ)で挽いて作成した挽家という容器でしたが、
茶入で濃茶を点てた後に、その茶入の容器である挽家で薄茶を点てた事から
挽家を茶器として使用する形が広まりました。
これが木製茶器の始まりであるといわれ、
様々な形態を経て木製茶器が独立し「塗茶入」と呼ばれ濃茶器として用いられていました。
現在では利休形棗が定型とされています。
大きさと用途別に三種存在し大棗は薄茶用・中棗は兼用・小棗は濃茶用として
用いるとされています。
棗の種類や特徴
:平棗・・扁平な形の茶器の一種で、直径が高さの約2倍あるのが特徴です。
:金輪寺・・薄茶器の一種で、後醍醐天皇が金輪寺で使われた事が名前の由来となり、また小型の経筒を茶器に転用したとも言われています。
胴は寸切で蓋の甲が丸みをおび掛かりが外に広くなっているのが特徴で、江戸時代初期には濃茶器用として用いられていましたが、後に現在の薄茶器用として使用されます。
:河太郎・・大棗と中棗の中間の大きさで、蓋の表面が凹んでいるのが特徴となっています。
蓋の表面が凹んでいるのが河童の頭に似ている事からこの名前が付きました。
:尻張・・下の部分が少し外側に張っている事から尻張、下張と呼ばれています。
寸胴な形がとても特徴的で、可愛らしい見た目となっています。
:薬器・・棗はもともと薬を保管する為の薬器が始まりとされ、そこから現在の様々な棗へと変わっていきました。
その後お茶を入れるようになるのですが、中国から伝わったお茶は、その当時の日本でもともと眠気覚ましの薬として使用され禅僧寺院で珍重されていたと言われています。
:碁笥・・胴から裾へと広がり底の部分が広くなっていて、蓋は浅く作られています。
碁石を入れる容器に形が似ている事から碁笥と呼ばれるようになりました。
:雪吹・・肩と裾の部分が面取りされているのが特徴の棗です。
肩と裾を天地と例えられ、蓋と身の境目がわからない事から天地もわからない、一寸先も見えない吹雪という意味で雪吹と呼ばれました。
:老松・・表千家6代目原叟宗左が京都にある妙喜庵にあった老松を使い茶器を作った事から老松棗と呼ばれ、作った数はなんと50個にも及ぶと言われています。
碁笥棗に似た形をし、蝶番付の付いた蓋が特徴で、溜塗の作品が多く作られています。
表千家で好まれて使用されていましたが、原叟宗左の三男の裏千家8代目一燈宗室も好んで使っていたと言われています。
:帽子棗・・撫肩で裾が少し張り、被せ蓋がついている形が帽子に似ている事から帽子棗と呼ばれています。
:中次・・蓋と身の境目がほぼ中間にある棗を中次と呼び、円筒の寸切形が特徴の薄茶器の一種です。また中次棗で一般的な作品は挽家と呼ばれる肩掛系の茶入となり、溜塗や朱、摺漆などの技法を用いられて作られます。
:甲赤・・表千家の五代目常叟宗室が好んだとされる茶器の一種で、黒塗の身に朱塗の蓋がついているのが特徴となります。
:日の丸・・棗といえば円形のお品物が一般的ですが、こちらのお品物は球状のお品物になります。裏千家13代円能斎鉄中が好んで使っていたと言われています。
可愛らしい印象の作品で、お茶席を華やかにしてくれる事でしょう。