茶杓 『銘 一会』 有馬賴底 金閣寺竹 宗陵下削
お品物詳細
写真のお品物はこの度いわの美術でお買取りした、高野宗陵下削による
有馬賴底付記の茶杓金閣寺竹『銘 一会』です。
竹林で生えた竹がおよそ13年で枯れて土に還るのに対し、伐採してから年月をかけて乾燥させ、丁寧に油分を抜いてから作業をすると朽ちずに半永久的にその姿を保つと言われる竹工品。寒暖の差が激しい京都の気候風土が育んだ竹のなかでも、金閣寺の古材を用いた、素材本来が持つ強さと美しさを活かした希少なお品です。
作者について
高野宗陵
昭和12(1937)年京都に生まれ、日本有数の竹の産地である長岡京に工場を構える『高野竹工』の創業者となります。昭和39(1964)年大徳寺藤井誠堂より「宗陵」、さらに平成11(1999)年有馬賴底より「不窮」の斎号を受けました。平成17年(2005)には「京都迎賓館」竹工芸調度品の制作にあたり作家としても幅広く活躍しています。
有馬賴底
昭和8(1933)年東京に生まれ、昭和16(1941)年に大分県日田市臨済宗岳林寺にて得度を受けます。昭和30(1955)年、京都臨済宗相国寺僧堂に入門し、大津櫪堂(れきどう)管長に師事します。師の後を受け、相国寺塔頭大光明寺の住職を経たのち、平成7(1995)年 臨済宗相国寺派7代管長(相国寺132世)に就任しました。
鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)の住職を兼任すると同時に、京都仏教会理事長も務めています。禅宗に身を置いて深く茶の湯と関わり、茶席における禅語や茶の湯の精神に関する多くの書籍を残しています。
茶杓の歴史と見どころ
日本では古くは茶会・茶事が開かれるたびに作られており、保存しておく習慣がなかったため現在では古い時代の茶杓はあまり多くは残されてはいません。しかし、その歴史をさらに遡ると最初は中国から渡来した象牙製の薬匙(やくじ)を茶杓として使用していたことに始まります。
渡来したばかりの当時の匙の末端には本来薬を粉末状につぶす為の小球がついており、その部分を使って茶の塊(団茶)を潰していました。芋茶杓、芋の子茶杓と言われるこの古い茶杓の形を、点前に使いやすいように改良したのが利休形と呼ばれる茶杓の定型になったと言われています。
茶杓をみる際は、まず全体の姿と自然美を汲んだ竹の景色を見ます。
部分的な見どころとしては、露、櫂先、茶溜まり、節、切止、節裏などがあります。名前がついているということは「その箇所は特に見所」ということでもあり、是非注目して鑑賞したいところです。
鑑賞とは別に、用のものである茶杓は手に取った時の感じも大切で、お茶がすくいやすく、また茶器にのせた時の安定のよいことも重要です。杓裏がなだらかな曲線を描くように削られているものが多いのも、より良い手馴染みを求めた結果であると言えます。
鑑賞だけに終わらず、用を伴う美術こそ「優れた茶の道具」になり得るのです。
いわの美術でのお買取り
現在、いわの美術では茶道具全般の買取を強化しております。すでに使わなくなったお茶道具がご自宅の片隅に眠っていたりしないでしょうか。
とくに正しい保管と手入れを必要とする竹工品などのお道具は、放置しておくと日本の多湿の気候では残念ながら時間とともに確実に劣化が進んでしまいます。
長期間保管していて価値が分からない、などの場合でも専門のスタッフが無料で鑑定いたしますので安心してご依頼いただけます。
査定額にご納得いただけない場合も、いっさいの費用はかかりません。ぜひ下記まで一度ご相談ください。スタッフ一同お待ち申し上げております。