買取実績紹介

陽炎園の文琳茶入

作家名: 陽炎園
更新日: 2015/2/2

陽炎園の文琳茶入買取りました

今回お買取致しましたのは、遠州七窯のひとつとして知られる膳所焼(ぜぜやき)の名窯 陽炎園の茶入です。

茶入は点前に使用するための、濃茶を入れる陶製の器を茶入といい、通常は、象牙製の蓋をし、仕覆を着せて用います。元々は薬味や香料を入れるために使用されていた容器を転用して、伝来より貴重品であった茶を入れたものと考えられています。一説には、京都の禅僧が宋から帰朝した際に、茶の種を贈るのに用いた漢柿蔕(あやのかきべた)の茶壺が始まりといわれています。


今回買取の茶入は、ほぼ球形をした小形の文琳茶入です。文琳茶入とは、その形状から林檎の異名である文琳の名でよばれるもので、唐物茶入の中でも茄子と並んで最上位に位置づけられています。

お買取した陽炎園造りの茶入は、深みのある色合いの逸品で、象牙蓋と名物裂の仕覆も付随していした。

陽炎園の作品買取ます

陽炎園は、かげろうえんと読み、大名茶人 小堀遠州の遠州七窯のひとつ膳所焼の窯元です。

膳所焼は、滋賀県大津市膳所にて焼かれる陶器で、江戸初期に起こった膳所藩のお庭焼です。藩主菅沼定芳の時代に焼かれ始め、その後の藩主石川忠総の時代に全盛期を迎えたと伝わっています。

膳所焼は、薄作りで黒みを帯びた鉄釉に特徴があり、「きれいさび」といわれる上品な造りで、特に茶入・水指が名高いとされています。

膳所焼はその後、茶人の嗜好の変化や、財政事情などから長くは続かず、明治維新とともに中絶しました。大正8年に、遠州ゆかりの茶陶の名窯の廃絶を惜しんだ岩崎健三が、時の日本画壇の巨匠山元春挙とともに膳所窯を復興し、その工房を陽炎園としました。敷地内には「東海道名所絵図」にも描かれた名勝「陽炎の池」があることから、陽炎園と命名されたそうです。

現在、膳所焼は茶陶として揺るぎない地位を持っています。


いわの美術では、陽炎園の作品買取をしています。膳所焼 陽炎園の箱書は「淡海ぜ々 陽炎園造」となっているもの多く、作品の底裏部分に「ぜ々」という陶印が用いられています。

茶道具の整理などの際、焼き物に「ぜ々」の文字がみられる茶入や水指などがございましたら、是非いわの美術までご連絡ください。陽炎園の箱書・落款付の共箱がございますと、買取査定の際にプラスに働きます。 陽炎園の作品であれば、作品によっては一点からでも高価買取の可能性もございます。

陽炎園の作品買取に関するお問い合わせは、お電話またはメールにて無料にて受け付けておりますので、お気軽にお問い合わせください。