角谷莎村 『万代屋釜』
作者について
写真のお品物はいわの美術でお買取りした角谷莎村の「万代屋(もずや)釜」です。
万代屋釜は名工・莎村が得意とした作品のひとつで、穏やかな釜肌に古典的な図柄を配した堂々たる風格と気品を放っています。
角谷莎村は1911年、釜師として名高い角谷一家の二男として大阪に生まれました。
父は初代角谷巳之助、6歳年上の兄の角谷一圭は茶の湯釜無形文化財保持者、いわゆる人間国宝として広く知られています。
莎村は幼い頃より父の仕事を兄とともに手伝い、見よう見まねで鋳造を学び始めます。やがて、一圭が本格的に釜師として鋳造するようになると、兄の仕事も手伝うようになり、鋳物制作の技法を自然と身に付けていきます。
更に莎村は父に師事して、土を成型し素焼きする鋳型づくり、鐶付の原型に施される彫刻、漆仕上げの着色などといった鋳造全般に渡る技術を会得しました。古典的な作風で知られた兄とは異なり、莎村は独創的な造形を展開し、日本伝統工芸展、大阪工芸展などにおいて数々の輝かしい受賞を重ねます。
なかでも莎村が作り出す老松地紋は古代釜に劣らぬ重厚感でとくに高く評価され、名手として知られた一方、現代茶会に沿った斬新な意匠も手掛け、幅広い作域を示しました。
1987年に76歳で生涯を閉じますが、独特の丸みを帯びた形状の茶釜を多く遺し、その作品群は今なお愛好家たちを魅了しています。
万代屋釜とは
万代屋釜の名称は千利休が釜師・辻与次郎に作らせ、娘の夫であり、桃山時代の茶匠であった万代屋宗安に贈った釜の形に由来すると言われています。多種多様な意匠がありますが、本作のように鬼面鐶付で、肩と腰にめぐる筋のあいだに塁座と呼ばれる画びょうの頭のような文様が配されたものもその一例です。
茶の湯釜にみる妙技と美
釜を見るとき、表面の装飾、肌、蓋、つまみ、鐶付などとあわせて、全体の形状をよく見極めますが、美術館に展示されている釜を見てみると、大きさも形もじつに多種多様なものがあることがわかります。釜は「一室の主人公」といわれ、席入りから退室まで炉を離れることなく茶席を見守る大事な役目を務めます。
このことからも、釜はただ職人の独創によるものではなく、茶人が自らの好みや個性を顕著にあらわす道具として、それぞれが相当なこだわりをもって趣向を凝らそうとした結果、その意図を汲んだ職人が、技術と工夫をもって注文主の要望に応え、多彩な造形や文様、風合いを生み、技法が増えていったことを物語っています。
そして、釜の最大の魅力は、「朽ちていく器物」であるということ。朽ち果てる美が鉄の魅力とされ、時を経て少しずつ変化する過程を手入れしながら楽しむのだそうです。
丁寧な手仕事でつくられた釜は、数十年、数百年という歳月のなかでゆっくり歳をとっていきます。やがて破れ、朽ち果てていく鉄という素材の変化を、日本人は「荒れ」「やつれ」と呼んで侘びの心の象徴としてきました。
釜はいかに美しく老いていくかが大切。名釜とは、朽ちてなお品格を保つ釜のこと、数寄者ならずとも、名釜には人生の価値をも学ぶところが多々あるように感じます。
いわの美術のお買取り
いわの美術では、釜に限らずお茶道具全般のお買取りを行っております。
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