
名越浄味 なごし じょうみ
京釜師
更新日: 2009/10/27
京釜師。『釜師由諸書』に「京作紹鴎時代に京都天下一西村道仁、
名越善正なり」とある名越善正の子が京都名越と江戸名越とに
分家した後の京都名越初代 名越三昌が「浄味」と号し、
俗に「古浄味」と称される。与右衛門、浄林。
慶長19年(1614)越前小掾に任じられ、京都大仏鐘を鋳る。
寛永15年(1638)没70余歳。二代 昌高、与右衛門、
寛永16年(1639)没。三代 昌乗、与右衛門、浄味と号し、
のち昌乗斎と号す。宝永5年(1708)没。四代 三典、与右衛門、
初名を昌晴、剃髪後 浄味を号し、俗に「三典浄味」また「足切浄味」という。
享保7年(1722)没。五代 与右衛門、享保9年(1724)没。
六代 昌光、与右衛門、剃髪後 浄味を号す。宝暦9年(1759)没。
七代 昌永、与右衛門。八代 昌興、与右衛門、剃髪後 浄味を号す。
九代 昌暉、与右衛門。十代 昌次。十一代 昌文。
名越善正なり」とある名越善正の子が京都名越と江戸名越とに
分家した後の京都名越初代 名越三昌が「浄味」と号し、
俗に「古浄味」と称される。与右衛門、浄林。
慶長19年(1614)越前小掾に任じられ、京都大仏鐘を鋳る。
寛永15年(1638)没70余歳。二代 昌高、与右衛門、
寛永16年(1639)没。三代 昌乗、与右衛門、浄味と号し、
のち昌乗斎と号す。宝永5年(1708)没。四代 三典、与右衛門、
初名を昌晴、剃髪後 浄味を号し、俗に「三典浄味」また「足切浄味」という。
享保7年(1722)没。五代 与右衛門、享保9年(1724)没。
六代 昌光、与右衛門、剃髪後 浄味を号す。宝暦9年(1759)没。
七代 昌永、与右衛門。八代 昌興、与右衛門、剃髪後 浄味を号す。
九代 昌暉、与右衛門。十代 昌次。十一代 昌文。
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