
高取焼宗家十一代 静山作
更新日: 2009/11/06
廃藩以後高取焼宗家の再興は、高取焼中興の祖とされる
高取静山によるものである。静山は、本名を静といい
高取焼宗家の長女として1907年(明治40年)に鼓釜床で生まれ、
1926年(大正14年)勉強のため上京、日本大学で夜間に国文学を学んだ。
後に東京で結婚し、3人の子供を育てていたとき、
祖父の閉じた高取焼窯を再興するため父十代富基に呼ばれ、
東京と九州を往復しながら手助けをすることになる。
しかし父富基は初個展を前にして心労のため急逝し、
いつしか戦争の波が窯の火を消し去る。
戦後、静山は、ただ一人の直系子孫として?取焼宗家の再興に尽力し、
1958年(昭和33年)5月5日、高取焼宗家再興の初窯開きが行われる。
静山50歳のときである。1961年(昭和36年)、
第一回目の個展が三越本店で開かれる。
これを機に遠州流宗家十一代宗明宗匠に「静山」と号を頂き、
?取焼十一代 ?取静山が誕生する。
高取静山によるものである。静山は、本名を静といい
高取焼宗家の長女として1907年(明治40年)に鼓釜床で生まれ、
1926年(大正14年)勉強のため上京、日本大学で夜間に国文学を学んだ。
後に東京で結婚し、3人の子供を育てていたとき、
祖父の閉じた高取焼窯を再興するため父十代富基に呼ばれ、
東京と九州を往復しながら手助けをすることになる。
しかし父富基は初個展を前にして心労のため急逝し、
いつしか戦争の波が窯の火を消し去る。
戦後、静山は、ただ一人の直系子孫として?取焼宗家の再興に尽力し、
1958年(昭和33年)5月5日、高取焼宗家再興の初窯開きが行われる。
静山50歳のときである。1961年(昭和36年)、
第一回目の個展が三越本店で開かれる。
これを機に遠州流宗家十一代宗明宗匠に「静山」と号を頂き、
?取焼十一代 ?取静山が誕生する。
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