
清水六兵衛 きよみず ろくべえ
京焼の陶工、清水家の通名
更新日: 2009/10/29
京焼の陶工、清水家の通名。初代から三代までは「古藤」、
四代が明治より「清水(しみず)」の姓を名乗り、
五代のとき昭和2年(1927)の即位大典に京都御所で清水焼の
御染筆に奉仕し「清水(しみず)」を「清水(きよみず)」に改めた。
『陶器考』に「六兵衛 愚斎と号す 初海老清に陶を学び、
後信楽にても陶を習ふ、六の字あるものヽ内に信楽出来あり、
六兵衛は土学に委し、信楽の土最よきゆへ常に是を用ゆ、
天竜寺の桂州印をさづく、夫より印を用ゆ、千玄室よりも印をさづくとなん」とあり、
初代 六兵衛(1738〜1799)は、摂津国島上郡(大阪府高槻)に古藤家に
農業を営む父六左衛門の子として生まれる。幼名栗太郎。愚斎と号す。
12〜13才ごろ京へ出て、五条坂の海老屋清兵衛(海老清)に陶技を学んだほか、
信楽ほかへも足を運び、明和8年(1771)五条坂建仁寺町に
開窯し、六兵衛と改める。
その技は茶器、置物、文房具に及び高く評価され、妙法院宮の御庭焼を勤めて、
六目印を拝領している。
四代が明治より「清水(しみず)」の姓を名乗り、
五代のとき昭和2年(1927)の即位大典に京都御所で清水焼の
御染筆に奉仕し「清水(しみず)」を「清水(きよみず)」に改めた。
『陶器考』に「六兵衛 愚斎と号す 初海老清に陶を学び、
後信楽にても陶を習ふ、六の字あるものヽ内に信楽出来あり、
六兵衛は土学に委し、信楽の土最よきゆへ常に是を用ゆ、
天竜寺の桂州印をさづく、夫より印を用ゆ、千玄室よりも印をさづくとなん」とあり、
初代 六兵衛(1738〜1799)は、摂津国島上郡(大阪府高槻)に古藤家に
農業を営む父六左衛門の子として生まれる。幼名栗太郎。愚斎と号す。
12〜13才ごろ京へ出て、五条坂の海老屋清兵衛(海老清)に陶技を学んだほか、
信楽ほかへも足を運び、明和8年(1771)五条坂建仁寺町に
開窯し、六兵衛と改める。
その技は茶器、置物、文房具に及び高く評価され、妙法院宮の御庭焼を勤めて、
六目印を拝領している。
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